物事を習慣化させるコツ
人の話を聞いたり本を読んだり映画を見たりして、触発されて、自分も習慣的にこうしようと思うことは多くの人にあるのではないかと思います。
有名なところでは、ダイエットしようだとか、早起きに挑戦しようとか、ランニングを始めようとか、いろいろありますね。
ただ、最初の意気込みもむなしく、三日坊主という言葉があるくらい、数日後にはすっかり気持ちが落ち着いてしまい、やる気がなくなり、気づいたら現状維持ということは、多くの人がまた経験することだと思います。
それだけならまだ良い方で、習慣化できない自分はダメなんだと思い始める、つまり自己否定をし始めてしまうようになると、もはや習慣化させる前よりも状態が悪くなっているじゃないか、ということもあります。
なので、物事を習慣化させるということはホントに大変なんだなと感じますよね。
本屋などに行くと習慣に関する本はたくさん種類があると思います。
そう考えると、時空を超えていろいろな人が悩む共通のテーマの一つなんだなと感じます。
そこで、どうすれば物事を習慣化できるのかについて、いろいろ本を読んだ結果として、ここに記しておきたいなと思います。
多くの人は、この習慣化ということについて誤解しているのではないかと思います。
まず、習慣化というのは、文字通り、日々の意識しなくても出来てしまうような状態にするというのがそのものの意味です。
毎日歯磨きするようなものです。
つまり、習慣化するうえで最も大事なのは続けること、もしくは続けられるような状態にするということです。
このことは多くの人が知っていることだと思います。
むしろ問題は続けられないから困っているんだよっていうところだろうと。
ただ、個人的には、それはただ知っているだけで理解しているとは言えないのではないかと思います。
理解しているのであれば、どうすれば続けることができるだろうかということを考えなければならないのです。
人の意志の力なんてびっくりするくらいもろいですし、一日にそう多く意志の力を使うこともできないのは、ウィルパワーという概念が物語っています。
ではどうすればいいのか?
なるべく意志の力を使わないようにすることを考えましょう。
具体的にはどうするのか?
まず、よくあるミスとして、習慣化する際に大きな目標を立てて実行しようとすることです。
例えば、今までろくに運動していなかった人が一念発起して、これからは毎日5キロ走るぞ、と決めます。
これはなかなか毎日やるのはハードだと思いませんか?
陸上選手とかが毎日5キロは走ろうとするのとはわけが違うのですよ。
ここには、習慣化することを目的としているのか?それとも習慣化した結果として得られるものを目的としているのか?という区別がなされていないのです。
ここに習慣化という誤解があるような気がします。
すなわち、毎日5キロ走れるようになれたらいいなと思っているからとりあえずやってみるといった感じです。
ただ、これはあくまで最終目的に近いものであり、習慣化した結果として得られるものという意味合いが強いものです。
なので、まず習慣化する、すなわち続けられるようにすることから目を向けてこそなのです。
そして、習慣化できたうえで初めてその習慣化による結果を求めるという段階になるのです。
ひとまずまとめましょう。
習慣化するということと、習慣化した結果何かを得る、というのは別物である。
多くの人は、いきなり結果を求めようとして、習慣化することに注意を払っていない。
なのでまずは習慣化させることからはじめようということです。
そこで意志の力というものを考える必要が出てきます。
例えば、5キロ走ると決めるのと、ランニングウェアをとりあえず着ようとするのでは、どっちが奮起する必要があるかを考えてもらうとわかりやすいと思います。
圧倒的に、ランニングウェアを着るだけの方が気持ち的には楽ですよね。
その感覚が意志の力です。
そして、気持ち的に楽なことの方が続けやすいということも分かるのではないかと思います。
ウェア着るだけならまあいいか、となりやすいと思います。
つまり、習慣化させるには、このように楽にできるようなところから毎日続けていくことが大事になります。
最初にも行ったように、習慣化というのは毎日自然に続けられるようになることです。
新しいことを続けられるようにすることを目的し、その結果を追い求めるという段階ではないのです。
まず、続けられるようにすることだけに注目しましょう!
よく言われるように、結果は後からついてくるのです。
この時に注意してほしいのが、自分を高く見積もらないということです。
習慣化しようとするときは決まってやる気が一番ある時だからです。
なので、やることを決める際は、いくらなんでもさすがにそれくらいは続けられるよ、と思えるくらいのことに設定するくらいでちょうどいいと思います。
例えば、ランニングするという目的に向かって、まず毎日ランニング用のサングラスをするだけにフォーカスするといったようなことです。
グラサンかけるだけじゃん笑、といったようなことですが、これこそが第一歩なのです。
これを続けてこそ習慣化というものなのです。
まとめましょう。
習慣化するには、自分が思うよりはるかに簡単なところからはじめましょう!
結果は後からついてくるから心配しないで!
ということです。
長くなってしまいましたが、読んでくれた方々、どうもありがとうございました。
なぜ極端なことをいう人間は好かれたり憧れられたりするのかについて
TVのコメンテーターや本では、極端な発言をする人が世の人間の心をつかむというようなことが発生する。
もしくは、それと同じくらいに嫌われたりもする。
卑近な例を出すと、男は金だとか、結局男も女も顔でしょとか、中国は危ないだとか、
これについて少し考えてみたい。
まず、個人的な感覚で申し訳ないのですが、白黒を付けないと気が済まないという人が多いように感じる。
どういうことかというと、物事が複雑であるのではなく、単純であってほしいと望む人が多いということである。
何か問題が起こったときに、多くの人は手軽な原因を望むが、単一の原因からなる事象などありえないというのは、バタフライ効果を考えればわかるであろう。
すなわち、「ああだからこうなる」といったような単純な因果を望むが、世界はそんな簡単にはできておらず、不確実性に満ちているのです。
残念なことに人間は不確実性をあまり好ましく思わないもので、その結果、それを無視したお手軽因果を知りたがるし、知れれば満足もする。
そして、極端な二元論に陥るのである。
それが、白黒つけさせることにつながるのだろう。
まとめると、人は確実な意見である白黒を好む傾向があるのではないかと思う。
そう思って自分を納得させたいのであろう。それが認知的不協和というものなのだろう。
どちらの意見側になるか、白なのか黒なのかは、さして問題ではないのである。
そのような極端な意見を人は好むと仮定したうえで、次になぜそのような意見を発する人が好かれるのかについて考える。
白黒とした意見を持っていても集団としての調和を求めるという性質を人間は多少なりとも持っているのではないかと思われ、その意見を心のうちに留めるだけで、表に出そうとすることもあまりないのではないかと思われる。
ただ、自己表現をしたいという気持ちもある。
その二律背反を有したうえで、他人が自分の意見と同じようなことを発していると自分が言いたいことを代弁してくれていると感じるのではないだろうか。
そして、その発言を聞くことで、自分が肯定されているような気持ちになるのではなかろうか。
人間は自己承認欲求というものがあるので、自分の気持ちを代弁してくれるような人の話をどんどん聞きたいと思うようになるのだろう。
だから、極端な話をするような人は、自分の気持ちをよくわかっていると感じて好きになるか、全然わかってないと思って嫌いになるかのどちらかとなるのだろう。
以上はあくまでも個人的な意見であり、自分も白黒つけたがっているゆえでこのように書いているのかもしれない。
ただ、このような意見、もしくは原因としての可能性もあるのではないかという意味で参考にでもしてもらえると幸いである。
逆説的ではあるが、多数の人の意見を取り入れることが白黒的な意見を持たないで納得できる唯一の方法なのではないかと思うから。
つまり、いろいろな意見を知ることで、あんな見方やこんな見方もできるね、と偏らないで済むのだ。
そうすると、先入観のようなもので判断せずに、よりロジカルに物事を考えることができるようになると思う。
頭を整理して思考しやすくするには?
何か考え事や悩み事があるときは、皆さんどのようにしていますか?
頭を悩ませる?
いったん忘れて他のことを考える?
友達とかに相談してみる?
まあ、いろいろあると思います。
ここで、個人的にお勧めしたいのが、一度紙に書いてみるということです。
こうすることで、頭がすっきりして考えやすくなるとよく言われています。
考え事があるときに思いつくままに書いていると、なぜか新たな策が思いついたといったようなことがある人もいるのではないかと思います。
この思いつくままに書いてみるというのは非常に大事だと考えます。
というのも、思いついたことを保持するのは、それが意識的であろうと無意識的であろうと、脳の中にあるワーキングメモリを消費するからです。
ワーキングメモリというのは、簡単に言うと、脳の短期記憶に関係するもので、そんなに長く覚えている必要はないけど、ちょっとの間覚えておきたいというときに使われるものです。
例えば、一時的に電話番号を覚えるとき頑張って覚えようとすると思うのですが、このときに覚えようとすることで電話番号に注意を払うことになります。
その結果として、ワーキングメモリを使用することとなるのです。
そして、たくさんのことに注意を向けたり一度に記憶したりするのが難しいというのは経験があると思います。
これはつまり、ワーキングメモリには限界があるということです。
一般的にその指標とされるのが、一度にいくつの数字を覚えていられるかというもので、マジカルナンバー7±2というように、限界としておおよそ7つの±2つと言われています。
だから、電話番号は覚えられるか覚えられないかのギリギリということですね。
頭の中だけで考えようとすると何が起こるかというと、思いついたことを覚えたまま考えるということになるので、ワーキングメモリの考えではやがて厳しくなってきます。
そのときにどうするか?
パソコンとかでもメモリ容量が足りなくなったら、外部にハードディスクを用意してそちらにもデータを分けるといったことをすると思います。
それと同じようにして、思いつくままに書くというのは、外部のハードディスクを使って自分のワーキングメモリを広げているような感覚です。
つまり、覚えようとするのは紙に任せて、自分はそれを見て考える。
そしてまた何か思いついたらそれを紙に書く、ということです。
だからこそ、書いて考えると頭がすっきりして整理されると言われるのです。
実際、紙に頭の中の考えの一部が整理されてい現れているのですから。
さらに、その考えを客観的にみることも出来るのです。
友達と話すと新しく思いついたりするというのは、そういう客観性が出てくるからではないかと思います。
ぜひ皆さんも何か考え事をするときは紙に書いてやってみてはいかがでしょうか~