書評とは何かを改めて考えてみた!②~~
前回の記事である
の続きで、なぜ書評は要約だけではないと考える理由を述べたいと思います。
簡単にその理由を列挙すると
・書評という言語的意味
・要約する人の問題
・なぜその本の書評か?
まず最初の理由について、書評というのは英語でbook reviewと書くと思うのですが、このreviewは批評するとか評価するとかの意味があります。
つまり、本をまとめているのではなく、その本に対して自分の意見を述べるという意味合いが本来あると思います。
一方で、要約というのはまとめているにすぎないということです。
すなわち、その本を読んで中身を把握したうえで意見を述べるのではなく、中身を短くして表現するということです。
まとめるだけでは不十分というのは言語的意味から1つあります。
では、要約を書く必要はないのかというとそういうわけではありません。
問題は、それを確かな要約と思うことなのです。
それが具体的には次の理由となってきます。
まず、小中学生の時の国語の授業とかの要約を思い出してもらいたいです。
重要だと思うところを書いていきましょうっていうあれです。
四苦八苦した方が多いのではないかと思います。
自分もめっちゃ悩んだ記憶があります笑
このとき、人によって要約の回答が千差万別だったと思うんですよね。
これは、読む人によって何が重要なのかが異なっているということに由来すると思います(なので正解が画一的に与えられて採点されるのがよくわからないのですが...)。
もちろん表現の仕方の違いもあると思いますが、そもそもコンテンツが違うということも往々にしてあります。
今回自分が言いたいのは人によって重要視するところが違うということです。
本題に戻ります。
要約を書くのはおおかた著者とは違う人です。
そうすると、その時点でその本の内容は書評を読む人からすると二次情報化しているのです。
すなわち、要約というまとめる作業はその本を読んだ人が何を重要だと思ったかに完全に依存することになります。
簡単に言うと、書評を書く人のフィルターに通されるということです。
人によって何を重要視するかは異なります。
そうすると、書評を書く人とその本の著者の視点というのも当然異なります。
一方で、本の中でどこが大事なのかを一番把握しているのは誰かと言えば、当然著者となります。
したがって、本の著書が要約をしない限り、本の大事なポイントが正しく表現されていない可能性があるのです。
例えば、大事なポイントが書評を書く人にとって印象に残らなければ重要だと思われないといったことです。
つまり、著者以外の要約は真に要約たりえないということです。
その意味で書評者による要約を「」を付けてここでは区別したいと思います。
では「要約」に意味はないのか?読む必要がないのか?というとそんなことはありません。
実際に「要約」を利用している人もいると思います。
ここで、次の記事では、その「要約」と書評の関係について述べてみたいと思います。